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2011年11月 5日 (土)

これはタイの話でしょうか?

(引用開始)
 表口の柱へヅウンヅシリと力強く物の障った音がする。
   (略)
前に表(オモテ)の柱へ響きをさしたのは、郵便配達の舟が触れた音でありしことが解った。
 郵便の小舟は今我が家を去って、予に其(ソノ)後背(ウシロ)を見せつつ東に向って漕いで居る。屈折した直線の赤筋をかいた小旗を舷に挿んで、船頭らしい男と配達夫と二人、漁船やら田舟やら一寸判らぬ古ぶねを漕いで居る。水はどろりとして薄黒く、浮苔のヤリが流れる方向もなく点々と青みが散らばって丁度溜り水のような濁水の上を、元気なくゆらりゆらりと漕いでゆくのである。(後略・引用終わり)

 今週のいつだったか、テレビで郵便配達がせっせと船で郵便を配っているのを見て、この一節を思い出しました。

 これは、明治40年(1907年)11月に発表された伊藤左千夫の『水籠』(みずごもり)。岩波文庫で、野菊の墓と一緒に所収されています。わずか7ページの短編ですが、洪水に見舞われた千葉東葛地方に住む一家の、午後の一時が、丁寧に記述されています。

 いまでこそ、ゲリラ豪雨とかが話題になり、いかにも水害が特別なように語られますが、江戸時代から、戦後の途中まで、江戸→東京と時は流れても、常に人々は水と闘っていました。川を付け替え、遊水池を設け、堤防を築きと、不断の努力を何百年と続けてきているわけです。
 地下に雨水を溜める、巨大な宮殿のような施設を設けているのも有名な話です。これができた辺りから、水害が急速に他人事になってきた感があります。

 それはさておき、水籠。改めて読むと、記述が大変興味深い。へその深さまでの濁り水、4畳ほどのスペースに固まる一家6人。水が一寸五分引いたの引かないのと言う家族の会話。庭に迷い込んだウナギを捕まえようとして失敗する様。引き潮で水が本格的に引きはじめるのではないかという主人と客との会話。客は、2食分のご飯と水を持ってきてくれていた……。

 大変な状況のようであって、間にかわいい幼子の描写を挟むことで、伊藤は「愉快」と表現しています。主人公はランプの明かりの下、夕飯にビールまで出させているのです。

 これを読むと、タイ人は楽天的で、日本人は勤勉、というステレオタイプはどこまで正しいのだろうか、と思わされます。何かが「日本人は勤勉で素晴らしい」という無責任なキャンペーンに駆り立てているように思います。ぜひ一度読んでみてください。ネットで読めます。

http://pddlib.v.wol.ne.jp/literature/sachio/mizugomori.txt 

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