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2010年5月30日 (日)

久しぶりにのりピーの記事を見た

 のりピーが子どもの運動会に行ったそうで。保護者だからそりゃそうでしょ。

 「よい子のりピー」を公私の別なく、カメラを意識して演じ続けなくてはいけなかったのも、壊れていく一因だったと思います。芸能人じゃなくなった(今のところは)人の、子どもの運動会での親としての一挙手一投足を報じるのもどうなんでしょうか。

 子どもがらみのときは静かにしてあげた方が、子どものためにもよいのでは。

(以下、引用)

のりピーが帰ってきた!長男運動会でスマイル

2010年5月29日(土)20時40分配信 スポニチ

 覚せい剤取締法違反の罪で懲役1年6月、執行猶予3年の判決を受けた元女優の酒井法子(39)が29日、長男(10)が通う東京都港区の小学校の運動会に訪れた。

(以下略)

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2010年5月29日 (土)

雨期になかなかならない?

 夜とか、ざっと降ることはあるのですが、雨期っぽくありません。

 これは、初めて住んでいる自分の想像だけではなくて、何人かの人が言っています。4月に雨が降って「異常気象だ」という人がいましたが、じゃあ雨期が早まったかというとそんなこともない、だらだらした感じでしょうか。

 1日熱冷ましを飲んで寝ていたら、熱も引き、落ち着いたようです。お腹はずっとユルイので、何か当たったようですね。よく分かりませんが、結果オーライにしておきましょう。

 日本人とのつきあいが日常、皆無に等しい環境なので、自分の状況をなかなか客観的にみることができません。ここにコメントをくれる、はやぶうさんのご主人の助言なんかがとても心強かったりします。あ、そうだよな、と気づかせてくれます。感謝。

 そう考えると、インターネットのない時代、国際電話のやたら高かった時代(そもそも電話じたいがどの程度普及していたか知りませんが)は、精神的にも大変だったろうなと思います。はい。

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2010年5月28日 (金)

今度は何だよ

 嫌な夢を水曜日の晩見たのが祟ったのか、何なのか。

 水曜日、あまりに眠く、9時半に眠りました。2時頃か、久しぶりに見る夢で目が覚めた。アレは何かの予兆だったのでしょうか。

 平成10数年ごろまで、3~4月になると「単位が足りなくて留年して、もうこれ以上いられませんと事務室で言われる夢」をよく見ました。平成元年入学だから、留年したトラウマは「大学10数年生」になるまで続いていたことになります。

 今回見た夢は、体育の履修漏れ。後期2単位だけの授業を今から登録できるか、事務局の期限は過ぎたけどどうしよう、これ取らないとまた留年だよ、という焦りまくる夢でした。久しぶりでしたね。そのまま眠れずブログなどを書いて、メールチェックして朝を迎えました。

 で、今日(というか日付上は昨日)の話。

 そんなわけで眠かったのです。特に午後が。でもイミグレーションに行ってビザの延長と再入国許可を取らないといけません。金曜日が祝日なので、木曜日が少ないチャンスでした。

 自分の場合、事情があって、バンコク内のイミグレではなくて、ノンタブリを管轄しているちょっと(?)遠いところに行かなくてはいけません。田んぼの中にぽつんとあって、おそらく自分では道を覚えることは不可能でしょう。同僚の車に乗って行きました。

 途中、必要書類をノンタブリ県庁でもらってから、イミグレへ。車も冷房が効いていて、イミグレもめちゃくちゃ冷房が効いていて、「上っ張りを忘れた」と後悔しきりです。うとうとしちゃったし。ノンタブリ県庁の都合で午後から行ったので、イミグレでは最後まで待たされました。最後に「書類足りないから来週来なさい」ということで終わり(事前に電話して、いらないと言われていた書類ですが、そうなる予感がした)。

 ずーっと冷房に当たりっぱなしで、疲れたせいかもしれません。家に帰ってから、38度台後半の熱がずっと引かないのです。4時間ほど寝たし、水も飲めているし、下痢・嘔吐もないので、朝まで様子を見て、病院に行こうかと思います。

 今週、ひとり同僚が寝込んでいるので、冷房と相まって何かうつったかな? という感じがします。

 タイに来て以来、月の半分何もしてない気がします。4月は腹壊して入院+ソンクラーン休暇、5月はデング熱+反政府デモ。さて6月は? 6月17日からのイベントの準備が忙しいので、この3連休で終わってほしいです。

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2010年5月27日 (木)

タイの家計調査ほか

 DACOと一緒に届いたnewsclipという日本語の新聞(どっちも無料です)にタイ統計局の発表が出ていました。

 まず、2009年家計調査から。

 世帯あたり平均所得が月20903バーツ(6万円ちょっと)。2000年が12150バーツですから、この10年でかなり増えました。

 世帯支出は16205バーツ(48000円ぐらい)。内訳を見ると、飲食費が34.2%、住居費が20.1%、交通費17.7%、教育費が2.1%などとなっています。飲み食いと住居費で半分以上ですね。

 ちなみに、バンコク都と首都圏3県に限って言えば、世帯平均所得37,732バーツ、同支出27,988バーツです。

 一方で、借金をしている世帯も多く、全体の6割に達しています。借金の額も平均134,699バーツとこの2年で2万バーツ近く増えています。用途は30.8%が消費のため、と回答しています。上の世帯収入が順調に伸びていることと照らし合わせると、家計が苦しい世帯とそうでない世帯がはっきりと分かれていると言えるでしょう。用途とかの推移が分かるといろんなことが言えるかもしれません。

 ジニ係数は2007年の0.418から0.01ポイント低下して、0.408に改善しました。何が原因かは分かりません。

 別の統計局調査では民間企業の社長さんの平均月給が出ています(2009年5~6月調査)。私立病院を除く民間企業の社長級で、月額99,802バーツで、2005年と比べてほぼ横ばいです。地域によってどういうばらつきがあるかまでは、紹介されていませんでした。日本円にすると30万弱ですから、日本人から見ると決して高く感じられません。しかし、荒っぽく言って、平均世帯5世帯分の収入=社長の収入ということですから、それなりといったところでしょうか。

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2010年5月25日 (火)

バスに乗るのも少し慣れてきて

 高校時代、バスで通学する途上で大渋滞にはまってしまったことが何度もあります。バス停まであと少し、というときに、降ろしてくれる運転手さんと、降ろしてくれない融通の利かない運転手さんといました。あと20メートルぐらいなのに「ダメ」と言って降ろしてくれない運転手の時は、遅刻証明書け!とか心の中で叫んだものです。

 タイでは、全くそんな杓子定規なことはなく、バス停の「辺り」でみんな乗り降りします。前でも後ろでも関係ありません。運転手も手を挙げる人がいればとりあえずスピードを下げて扉を開けます。完全に停まることもありますが、たいていはゆっくり動くバスに乗り降りをしていきます。

 そんなバスに乗っていると、ふと、高校時代のことを思い出しました。あぁ、これなら遅刻せずに済んだよ。

 タイはバスの案内がよくありません。番号とタイ語でのおおざっぱな場所が書いてあるだけです。バスに書いてある番号を見て、目的地に行くバスだったらバス停で手を挙げて停めます。ですので、日本語版のバス路線図を買って、行き先のバスの番号をメモして、暗記して、バスを待ちます。

 事前に調べて暗記しないと、自分ぐらい近視だと、バスが近づいてから路線図を開いて確認している間にバスが行ってしまいます。何度も痛い目に遭いました。

 さて、今日の帰りのこと。アーリー駅でバスを待っていたら、目的地に行くはずの29系統のバスがやってきました。誰かが手を挙げたようで、バス停よりもだいぶ手前で停まりました。そこにみんなが走っていきます。自分もとりあえず走りました。

 飛び乗ったところで、後ろの人が「パヤタイに行きますか?」と質問。「?」と思っていたら、車掌さんが「途中の戦勝記念塔止まりだよ」と答えています。あぁ、よかった。カネ払う前で。そのタイ人のお兄さんに心の中で感謝しつついったん乗ったバスを降りました。

 続けて177系統のバスが。これもパヤタイに行くのです。自分は路線図を信じて飛び乗りました。当然あのタイ人のお兄さんも来ると思ったのですが、彼の頭には177系統はなかったようです。ぴくりとも動きません。

 「これ乗ってもパヤタイ行くよ」と教えてあげたいのですが、タイ語そこまで出来ないし、余計なお節介でもし行かなかったら悪いし、と思っているうちにバスはぐいぐいと進んでいってしまいました。

 結果は、177系統の自分の乗ったバスが真っ先にパヤタイに着いたのでした。

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昨日からいろいろ再開&新学年

 バンコクは1週間遅れの始業式が昨日あり、新学年がスタートしました。

 道もいつもの渋滞と賑やかさが戻り、制服姿の女子高生たちがバス停とかで賑やかにおしゃべりするさまも見られました。

 自分はBTS(スカイトレイン)も再開したので、いつものように乗ろうと思ったらICカードがうまく改札を通りません。係員に聞くと、もう残額がないから入れろとのこと。BTSの係員もいつもは英語が出来る人なのに、この日に限ってずっとタイ語。よくわからない。

 考えてみれば、ずっと運行してなかったくせに、残額がなくなるはずはありません。期限(30日)切れ? でも、それって自分のせいじゃないよね。BTSの方が止まってたんだもん。

 頭に来て、バスに乗っていきました。通勤は、BTSだと6分で30バーツかかるところ、バスなら、15~20分で12バーツ。エアコンなしのバスなら8バーツ。バスはエアコンバスの場合、距離によって料金が違うので、車掌さんに行き先を言うなど面倒くさいのですが、もう、バスにします。。。

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こんばんは。ラッシャー木村です。

 気づかぬうちに、現役を辞めておられたのですね。一生リングに立ち続けると思っていたのですが。

 自分が中学生の頃、彼はアニマル浜口たちと国際軍団で名をはせていて、毎週プロレス中継をドキドキしながら観ていました。もう、あの段階で40歳ぐらいだったんですね。全日に移ってからはほとんど観なくなってしまっていたのですが、たまに観ると「あぁ、よくがんばってるなぁ」と感心したものでした。

 ご冥福をお祈りいたします。

(以下、ORICON STYLEから引用)

2010年05月24日 18時50分 
ラッシャー木村さんが68歳で死去 腎不全による誤嚥性肺炎のため 

 元プロレスラーのラッシャー木村さんが24日午前5時30分、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため亡くなったことが同日午後、プロレスリング・ノアより発表された。68歳だった。通夜、告別式については、遺族の意向により、親族のみで執り行われる。

 木村さんは大相撲出身で廃業後に日本プロレスに入門。東京プロレスを経て入団した国際プロレスではエースとして活躍し、日本マット初の金網デスマッチを戦い“金網の鬼”の異名を取った。国際プロレス崩壊後は、新日本プロレスに「国際軍団」として参戦し、アニマル浜口、寺西勇とともにアントニオ猪木らと熱戦を繰り広げた。

 第1次UWFを経て移籍した全日本プロレスでは、一時はタッグを組んだジャイアント馬場さんらを相手に「国際血盟軍」として抗争を展開。その後、1988年に馬場さんと「義兄弟タッグ」を結成し、「アニキ!」と馬場さんに呼びかけるユーモラスなマイクパフォーマンスは一躍会場の人気となった。2000年にはプロレスリング・ノアの旗揚げに参加。生涯現役を宣言しリングに上がるも2003年3月を最後に長期欠場に入り、2004年7月に引退を表明した。

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2010年5月23日 (日)

道後温泉、お客が減ってる

 道後温泉の地元、伊予銀行のシンクタンク「いよぎん地域経済研究センター(IRC)」が5月1日に出した月報で、この20年で旅館数が半滅したという調査が出たと読売新聞が報じています。

 このブログを始める前に、一度だけ松山に行ったことがあるので、ちょっと気になりました。道後温泉の思い出はイギリス人がどうやって温泉に入ればいいか分からずに、じっと自分の所作を見てマネをしていたことでしょうか。こっちも気づいたので教えてあげましたが。

 いよぎん地域経済研究センターのウェブサイトを見ると、ちょうど月報の当該部分は見ることが出来ないのですが、代わりに1ヶ月前のプレスリリースが読めます。

 プレスリリースに引っ付いているアンケート結果なども合わせて読むと、大体が理解できました。もちろん、月報には詳しいデータが出ていて、私が読めていない、という可能性もあります。それを踏まえて、自分の感想はいくつもありますが、主だったところではこんなところです。

  • 20年のトレンドということは、もちろん、国内の観光業全体の落ち込みもあるが、松山に関して言えば、本四架橋の影響はどうだったのか? つまり、日帰り圏の拡大が宿泊客を減らしたということは言えないのか? ←レポートの中に指摘されていました。
  • 宿泊客の客層の分析がないので、他所、特に湯布院などのような客数が伸びているところとの比較が難しい。若年層にターゲットをおけば伸びるのか、高齢者にターゲットをおけば伸びるのか。団体客の発掘とかはどうなのか、この辺のデータがないと、当て推量の域を超えないのではないか。
  • 最後に『坂の上の雲』効果を期待したようなことが書いてあるが、道後温泉と『坂の上の雲』の観光資源とをどうやってつなげるのか? 皮肉にも、IRCのプレスリリースでは使われなかった『坊ちゃん』が読売新聞の見出しに使われている。外部者にとっては、いまだに道後温泉=坊ちゃんなのである。確かに、松山に道後温泉はあるが、両者が坂の上の雲を媒介につながるとは、自分の頭でも考えにくい。坂の上の雲の観光資源は「見て回ればおしまい」のものである。宿泊につなげていくために、温泉は依然有力な手段である。道後温泉=松山というイメージをどう潜在的な顧客層に浸透させていくかが重要なのではないか?

 以上、松山に詳しくない素人の談義でした。温泉好きなので、がんばってください。

(以下、引用)

「坊ちゃん」の道後温泉、20年で旅館半減

2010年5月23日(日)10時53分配信 読売新聞

 松山市の道後温泉の旅館の数がこの20年間で半減し、宿泊可能人数も3割程度減っていることが、民間調査機関「いよぎん地域経済研究センター(IRC)」の調査でわかった。

 2008年の宿泊者数は、1992年に比べて3割減るなど、道後温泉が長期低迷するのを尻目に、独自の工夫で宿泊者数を伸ばす他県の温泉地もあり、IRCは「地域が結束し、先を見据えた取り組みが必要」としている。

 IRCによると、道後温泉の旅館数は、89年には58軒(収容人員9404人)だったが、09年には31軒(同6665人)になった。部屋数も2076室から1534室に減少。年間宿泊者数は、00年まではほぼ100万人台で推移していたが、日帰り圏の拡大や不況の影響などで、01年には80万人台に落ち込み、09年には77万人となった。

 IRCによると、旅館やホテル、民宿などを合わせた国内宿泊産業の市場規模は、バブル経済の追い風で91年に約4・8兆円に達したがその後一気にしぼみ、08年には約2・9兆円とピーク時の6割に低迷。特に、旅館は3・5兆円から約1・7兆円に減っており、宿泊産業の中でも落ち込みがひどいという。

 IRCは、道後温泉を含む旅館業の低迷について、「旅行需要は団体から小人数・個人に移行したが、多くの旅館はバブル期前後に団体需要を踏まえた宴会場などの設備投資を進めていたため、機動的な対応が行えなかった」としている。

 その一方、IRCは道後温泉以外の全国8か所の有名温泉地の92~08年の宿泊客数も調査。その結果、90~92年の平均を100として08年の数値をはじき出すと、道後温泉が68だったのに対し、個人客や女性客に好評な黒川温泉(熊本県)は145で、湯布院温泉(大分県)は112とそれぞれ増加。泉質の優れた草津温泉(群馬県)も97とほぼ横ばいにとどまっていた。

 IRCは「道後温泉では、一気に宿泊者が減るのではなく、少しずつ減少したため、対応が後手に回った可能性もある」と分析。小説「坂の上の雲」のテレビドラマ放映で追い風が吹いているとし、「複数の観光施設を自由に出入りできるフリーパス券の発行や平日の連泊割引といった滞在時間を延ばす工夫のほか、道後にしかない魅力作りが必要」と提言している。

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あえて言いたい。必修をちゃんとやれ。

 自分の時代でもこういう意見はありました。たぶん、日本の大学ではいつの世でもこういう議論はあったでしょう。

 でもね、「役に立つ、立たない」なんて18、9の学生に分かるわけないの。むしろ、逃げているやつほど、肝心なところで役に立たない。

 社会に出たら、いろんな分野の人と付き合うんだから、そのときに「俺には関係ない」では済まされないでしょ? 自分のやりたい分野を「浮き彫り」にするためにも、他分野の知識は必要。ましてや、今時の中学・高校なんてどうせ何も教えちゃいないんだから、基礎知識を得る時間ぐらい我慢しなさいよ。ひょっとしたら、自分の思いこみを解き放つ出会いがあるかも知れないでしょ?

 大学出てなくても、一流の人は、他分野の人が言うことを自分の分野に引き寄せて、どう役立てられるかを考えていますよ。そのためにも、せっかく大学行っているのだから、他分野の言葉に耳を傾ける時間は惜しんではいけません。

(以下引用)

必修ばかりで希望する講義が取れぬと悩む大学一年生

2010年5月23日(日)17時7分配信 アメーバニュース

 今年大学に入った新入生が理想と現実の違いに悩んでいる模様が、2ちゃんねるのまとめサイト「デジタルニューススレッド」で取り上げられている。

 彼は、授業を自分で選べない、必修が多いことに「自分の目指す将来と関係ない講義に出なきゃならない。その講義も内容はかなり人を選ぶものが多く、単位もらうのもかなりきつい」とまいっている。来学期も必修の講義のため、受けたい講義を取れるかは微妙だという。学びたいものを学びに大学に進学したのに、思うように希望する講義が取れないでいるのだ。

 彼に対して、「大学に夢見すぎだよ」「どこの大学も一年は同じだ」「どうせ友達いないんだろ。友達いれば全然違うぞ」「文系なら大学2年や3年になれば必修も減って、ある程度好きに科目選べるだろ」「必要なやつだけとったら退学でもすれば?」などのアドバイスが寄せられた。

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2010年5月22日 (土)

誰かおみやげでもってきてください。

 これなら、タイの同僚にも楽しんでいただけるかしら。

http://www.sakelife-tomu.com/products/moe

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私のビザはどうなるの?

 私のビザが月曜日に切れるようです。

 ワークパーミット(労働許可証)が1年間で出ているので、その辺、矛盾しているのですが、ビザの切り替え業務がえらい滞っていて、1ヶ月以上動きがありません。

 前にも書きましたが、私のビザは就労ではなくてボランティアビザ(NGOだから、だそうです)扱いなので、書類に一手間余計にかかっています。ワークパーミットだけではだめで、「社会開発・人間の安全保障省」から、所属団体についての書類が出ないと、ビザの切り替えができないそうです。そこでずっとつっかえています。

 私のビザはシングルエントリーなので、海外出張をするとタイに戻ってくることが出来なくなってしまいます。なので、再入国許可を取りたいのですが、今週は騒動のせいでずっと役所はお休みだし、金曜日には手続をやってくれている同僚が体調を崩してダウン。一体、いつ出来るのやら。

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ch3は一休さん

 焼き討ちにあって放送が出来なくなったch3。昨日からかな? 放送再開。おめでとうございます。なんで焼き討ちの対象になったのでしょうか??

 今、テレビ付けたら、一休さんをやっています。「イキューサーン」と話しかけています。「ぽくぽくぽく、チーン」と何かとんちをひらめいたようですが、タイ語では全く分かりません。

 別のチャンネルではポケモン。主題歌とかは日本のそのままで、中身はタイ語吹き替えです。一休さんの方は結構声が合っているかも。

 他のチャンネルでは英会話講座のような番組。もっと実際的(?)で、vomit(吐く)とか病気の症状を解説してました。例文が「彼は酔っぱらって吐く」とかで、トイレに突っ伏す外人さんが映っています。意味もなくリアルで吹き出しちゃいました。

 ほぼ騒動も収まり、今晩で外出禁止令もおしまいかな? 報道ではスカイトレイン、地下鉄共に明日から動くようですし。少しほっとします。

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2010年5月19日 (水)

おうちの周りの様子

 下町なので、独自のリズムで今のところ生活が営まれている感じです。とはいえ、車はほとんど入ってこないし、屋台も心なしか客が少ない。これが夜間外出禁止の時間、人っ子ひとりいなくなるとは想像が付きません。

 子どもたちはキャッキャッといつものように楽しく路地を走り回って遊んでいます。それだけ見ていると、いつもと何が違うのか、という錯覚に襲われます。国鉄の線路でも、いつもと同じように人々が行き交い、汽車が来ない間は子どもたちが遊びに興じています。

 車はほとんど入れないのですが、氷などの生活物資を運ぶ車はOKのようです。コンビニも物資があふれています。

 上司のSさんがとても不安がっていて、よく電話をくれます。さっき、携帯を部屋に置いたまま昼飯を食いに行ったら、4回ぐらい不在着信。またかかってきたので、出たら、やや切れ気味。すみません。。。

 その後、国連のAさんからも電話。Sさんがとても心配して「かけてやってくれ」と言ったとか。確かに、職員の中で、最も封鎖地域に近くに住んでいて(確かに地図上は隣接してますよ)、かつタイ語がおぼつかない数少ない職員(1名ドイツ人ボランティアの他は全員タイ人の職場です)だから、仕方ないのですが。。。。

 ベランダには出るな、と大使館からは言われています(狙撃されるかも、だそうです)が、うちのベランダは一応騒動からは死角にはなっています。ですので、一瞬だけ出て写真を撮りました。もう撮りません。

Smoke_bkk

 ラチャープラロップ通りの方から煙が上がっているの、わかりますか?

 テレビは6時前からたびたび中断されて、政府の一斉放送が入ります。内容はすでに午後に伝えられたモノの再放送が中心。テレビ局も混乱しているみたいで、一斉放送が終わったあと、国歌の時間(6時)まで、音楽(愛国歌みたいなモノ)を流したり、フリーズしたり、いろいろ。

 6時を過ぎても断続的に政府の一斉放送と音楽の反復。音楽も一斉放送になりました。画面は国旗一色。夜間外出禁止令間近の空気が漂ってきました。

Tv_song

 ちなみに、3chは焼き討ちにあったためにお花の写真がずっと出ていました。今はバーがいくつか出ている画面(試験放送の時の画面)です。

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終わりから始まりへ

 結局のところ、赤服の幹部たちが投降したにもかかわらず、アパートやデパート、スーパーなどが燃えさかり、略奪にあっているようです。テレビ局も焼き討ちに合いました。北部チェンマイ市でも県知事公邸が放火されたとかいう情報もツイッターに入ってきています。

 赤服を罵る書き込みもありますが、人々を追い詰める、という行為は、必然、暴発を生むものです(暴発する口実を与えてしまう、という側面もあります)。これは、赤服であろうと誰であろうと、当然起こりうる事態です。羊のように言われるがままに解散したり、撃たれるがままに殺される、なんていうことは世の中の常識としてありえません。中には、赤服と関係なしに、どさくさまぎれに日頃のうさを晴らしている人もいるでしょう。

 政府はこの状況に対して、今晩8時から翌朝6時までの夜間外出禁止令で対応するようです。ここまできたら、当然の処置でしょう。治安維持はやりはじめたら、ある程度やりきらないと意味がないのも確かです。いずれにせよ、パンドラの箱を開けてしまったのは確かです。本当に最後に希望は残されるのか。

 確かに長期占拠は異常なことだったのですが、こうした解決方法でうれしい人、少なくとも得をした人はどこにいるのでしょうか。掲示板やツイッターなどで散見される、日本語による赤服への暴力的な書き込みを見ると、日本人として悲しくなります。

 バンコクの国連ビルの前で「私たちは赤でも黄色でもない。でも、政府は、まず人を殺すのを止めるべきだ」という人々の集まりがあったそうです。参加者の中には、封鎖地域の住人もいたそうです。封鎖地域内の人たちも、早く解決してほしかったろうけれど、硝煙と血では解決してほしくはなかったでしょう。

 今回の強攻策でタイ社会が落ち着きを取り戻すとは思えませんし、政権が安定するとも到底考えられません。社会の安定に向けた、今後の政府の舵取りは本当に難しいと思います。

 私自身はこの2日ほど、おうちに缶詰でしょうか。。。

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強制排除開始。

 詳しくはツイッターで、#thairedjのハッシュタグを探してください。朝から装甲車がバリケードの排除に走り出しました。それに対して激しい抵抗があるようです。

 さすがにテレビも朝からこれ一色です。大使館からも「タイ政府より、本日(19日)、軍が行動するので、封鎖地域や衝突地域周辺に住む人々は、屋内にとどまるようにとの緊急連絡がありました。これらの地域に居住されている方々は、屋内にとどまり、テレビ等により情報の入手につとめて下さい。なお、サラデーン方面に装甲車が出ていることが確認されています。」との緊急連絡。

 朝ご飯を買いに、ちょっと外へ。人は歩いているけど静か。弁当を買って、ペッブリー通りへ。本当に静か。

 途中の道はゴミだらけです。ゴミの回収が滞っています。黒いビニール袋を出してまとめているところはまだましですが、ちょっと裏路地を覗くとゴミが恐ろしい勢いで積み上がっています。

 ペッブリー通りを少し歩いてラチャテウィー交差点へ。本当に静かで、強制排除が始まっていたり、タイヤが燃やされていたり、というのは伝わってきません。本当は1キロもないところでいろいろと起きているらしいのですが。

 そこからパヤタイ通りをパヤタイBTS駅まで歩きました。一部の食堂を除いてすべてシャッターが降りていて、そのすき間からや、扉を開けて人々が心配そうに中心部の様子をうかがっていました。兵隊と小声で話をする人も。兵隊も、情報不足なのか、携帯テレビでニュースを観る姿も。座ったまま黙々と何かをする兵隊がいたので、見てみると、銃剣を研いでいました。

 どちらの通りも封鎖されているので、ラチャテウィー交差点あたりにモーターサイがたまっている他は軍用車両と救急車がじっと停まっているだけでした。こんなに静かなバンコクは初めてです。これでタイヤを燃やさなければ空気は本当にきれいでしょう。

 「これが最後の作戦」というふれこみもあるようですが、こういう押さえ込み方は、過激派を地下に潜らせるのではないかという気もします。政府に勝算があってやっていることとは思えません。

 これを書いていたら、上司から電話。「昨日とは状況が違うから、何が起きてもおかしくない。家にいろ」とのこと。わかりましたよ。。。

 電話が終わると管理人さんがノック。何か注意?でもタイ語できないし、と思っていたら、水道メーターのチェック。あぁ、もうそんな日か。

 管理人さんはゴミ捨て場のゴミを大きな黒袋にまとめなおしただけでなく、エレベーターホールに黒袋を付けたポリバケツをわざわざおいて、ゴミ捨て場が少しでも機能するようにあれやこれやと奮闘しています。感謝。

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2010年5月18日 (火)

ドラえもん

 今日も在宅勤務(?)。

 テレビを付けたら、ドラえもんをやっている。ドラえもんが終わったら名探偵コナンがはじまる。一応「平日」の昼間なのですが、今週いっぱいバンコク市内が「公休」となったせいでしょうか、夏のアニメ祭状態です。

 よく分からないけれど、タイのテレビ規制は不思議です。血まみれの映像は平気で流すし、事件報道はとても生々しい。なのに、ドラえもんに「ぼかし」がたまに入ってきます。それも、しずかちゃんの入浴シーンとかではなくて、のび太のお父さんの出てくるシーンに。

 それは、たばこ。たばこを片手にお父さんが茶の間で語っていると、その指先はことごとくぼかしで消されます。たばこに対しては、とても規制が厳しく、コンビニとかでも「たばこ売っています」というステッカーがあるだけで、たばこを入れた棚はアルミ製の扉で見えなくなっています。とにかくたばこには厳しい。

 でも、血まみれの報道とか、病院の中までみんなで押しかけて担架が動かないぐらいカメラで取り囲む方がやばい気がするのですが、どうでしょう。

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2010年5月17日 (月)

警告レベルが上がりました。

チト遅いか?という感じもしますが、大使館の警告レベルが『渡航の是非を検討して下さい』から1レベル引き上げ『渡航の延期をお勧めします』になりました。次は「退避勧告」が残されているだけです。

今日になって、兄から勤め先での対応(現地販売拠点での対応)が参考までに送られてきました。

上司のSさん(タイ人)からも電話があり、周辺状況について情報交換。職場付近の通りも封鎖されているようで、一部のスタッフを除いて全員自宅でお仕事とのこと。

昨晩は、国連のAさん(日本人)から「ピンチになったらうちなら川向こうだし避難してきていいよ」とのありがたいお言葉。Sさんに言ったら「そこまでどうやって逃げるの?」とあっさり。そのときはどうにかするんだよぉ。と思いつつ、確かに方法が思いつかない。

情報がろくに入ってこないので、家でおとなしく洗濯をするしかありません。洗濯がはかどります。アパートのゴミ捨て場は、誰かが大きな黒いビニール袋でみんなが投げ捨てていくゴミをまとめていてくれた様子。少しはマシになっていました。こういうときに落ち着いている人がいるとほっとします。

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2010年5月16日 (日)

逃げにくいなぁ、こりゃ。

グーグルに便利なバンコク状況マップを作っているおっさんがいるので、参考にさせてもらいましょう。

これを見ると、詳細は省略しますが、私の家は封鎖地域の外にありますが、封鎖し損ねている北側からも危険地域が迫っている感じです。となると、逃げるというよりも、ここでじっと時が過ぎるのを待って籠城するしかないのでしょうか?

この地図に拠れば、ランナム通りだけではなくて、戦勝記念塔周辺のラチャウィティー病院にも陸軍の狙撃兵が展開して、住民が走り回って逃げているとか。そこを突破して逃げる気はしませんね。おとなしく籠城です。

籠城はいいのですが(米も水もひとりなら耐えられるぐらいある)、アパートの前のゴミ収集所がひどいことになっています。ただでさえ、雨が今日はよく降るのに、あれだけゴミが積み上がると、不衛生になるのが心配です。

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そろそろ避難でしょうか?

というか、いつでも日本に身一つで帰れるようにはしてあります。こわいもん。

ただ、最初は職場に身を寄せるという筋書きを持っています。そこで、どの程度放置して逃げるか。つまり、何日避難してしのぐ腹づもりをもつか、が重要になってきます。

自宅周辺は政府指定区域のすぐ外(本当に通り1つ分なのです)とはいえ、まだ物資不足も見えず、平穏な市民生活が保たれているだけに、逃げ時が難しい。職場に避難とはいえ、途中、パヤタイ通り→パホンヨーティン通りがどうなっているのだろう? パヤタイ通りにつながるランナム通りは昨日から銃撃戦の噂も聞こえるし、へたにうろちょろせずに、家にいた方が安全かも知れない。ネット以外の情報が本当に乏しく、その辺の判断は難しい。

職場にたどり着ければ、問題ない。職場は閑静な高級住宅街の一角、敷地もきちんと警備されている。アーリーの駅周辺もやばくはないだろう。問題は途中の戦勝記念塔付近まで。しかし、避難のつもりが、命をかけた肝試しになってしまったらしゃれにならない。もう一晩様子を見よう。

在タイ米国大使館は館員家族のバンコク退去を決めたそうだ。日本大使館も、スクンビット・ソイ22のホテルに臨時事務所を開設することになった。BTSもMRTも明日も運休が決定。夜間外出禁止令も一部出されるとかだから、この時間から下手に動くよりも明日の朝を待った方が、やはり賢いか。

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2010年5月15日 (土)

何と言いますか、緊迫しています。

 本日も衝突でたくさんの方が亡くなっているようです。政府発表よりも多いでしょう。理由の如何を問わずご冥福をお祈りします。

 朝から、病院に行かないといけなかったので、タクシーを拾おうとパヤタイ通りに出たら、タクシーがなかなか捕まりませんでした。捕まったと思ったら「300バーツ」とかふっかけられるし(普通はメーターで90バーツ弱です)。やっと乗れたと思いきや、いつもの道を通ろうとして軍隊に止められ、1台目はあっけなく終了。2台目を見つけ、ようやく乗り込みます。

 途中、戦勝記念塔からディンデーン通りに入る手前、ラーチャプラロップ通りの入り口で煙りくすぶらせるタイヤと、割れたガラス片、走って移動する人々を横目に病院へ。病院は、「治ったね」であっけなく終了。

 病院内のスタバで地元の英字新聞を見て、衝突箇所を改めて確認。衝突は「封鎖する」といった場所よりも外側でも起きているような気もします。帰りのタクシーも、「ペッブリー・ソイ7はだめ」「BTSパヤタイもダメ」「戦勝記念塔までならいい」と言われ、不満ながらそれで帰りました。

 戦勝記念塔から、モーターサイ(バイクタクシー)なら行けるかと思ったのですが、BTSパヤタイを前にして、シー・アユタヤ通りのところで軍隊によるバリケード。仕方なくそこから歩いて家に帰りました。

 うちの近所は普通の週末の賑わいを見せています。もちろん、主要道路との境目には軍隊が張り付いていますが、中に軍隊が入ってきている形跡もなく、お買い物でにぎわっています。油断は出来ませんが、こっちには赤服も軍隊も今のところ興味はないようですね。

 一応、やばくなったら職場に避難するというルールがあるので、どの段階でそれに移行するか、体調も戻ってきたので、再び真剣に考える時期が来ています。

(大使館からの通知)

タイ在留邦人の皆様へ

      【大使館からのお知らせ】
                    緊急一斉メール

===========================
【大使館からのお知らせ】
反独裁民主戦線(UDD)等によるデモ集会・行進実施に関する注意喚起
(2010年5月15日15:00現在)


1.本日の新しい動きとして、サラデーン交差点(シーロム通り~ラーマ4世通り)、ボンガイ交差点(ラーマ4世通り)、ラマ4世通り高速道路入口付近及びディンデン交差点(ラチャプラロップ通り~ウィパワディランシット通り)にて、タイヤへの放火、断続的に発砲及び爆発音が発生し、死傷者が発生しています。また、ウィタユ交差点(サートン通り~ウィタユ通り)をUDDが占拠しています。これまでの一連の衝突や発砲・爆発により、16名が死亡、147名が負傷者((13:30現在)日本人は該当なし)出ています。そのため、封鎖地域はもとより、その周辺の緊張は高まっておりますので、封鎖地域付近には近づかないようにし、封鎖地域付近に滞在している在留邦人、邦人旅行者については、不測の事態に巻き込まれないため、厳に外出は控えて下さい。

2.公共交通機関の運行状況
(1)BTS(高架鉄道):本日、全線が運休。
(2)MRT(地下鉄):本日、全線が運休。

BTS及び地下鉄(MRT)の運行時間が変更される可能性がありますので、詳細についてはウエブサイト(BTS:http://www.bts.co.th/ 、地下鉄(MRT)http://www.bangkokmetro.co.th/ )を参照してください。

(問い合わせ先)

○在タイ日本国大使館領事部
 電話:(66-2)207-8502、696-3002(邦人援護)
 FAX :(66-2)207-8511

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2010年5月13日 (木)

また病院

 病気自慢が増えると年だそうですが、自分はまだそんな年でもないのに。。。っていうか、バンコクに何しに来たか分からなくなりつつあります。

 先週の金曜日、朝から発熱。でも、午前中にプレゼンが1本あったので、ふらふらしつつ行くと、そこは冷房地獄(涙)。プレゼンが終わり、ご飯もあるよといわれたのですが、これ以上寒いところでご飯は食べられないと、とっとと職場へと戻りました。40度近い猛暑の中、スーツ着て歩けちゃってたんですよね。この段階で変だと気づけばよかったのですが、でも、ご飯食べられたし。

 で、だるそうにしていたら、軍人上がり(というかまだ軍籍あるんですよね)のPさんが

「そういうときこそ、着替えて、トレーニングをすれば熱は吹き飛ぶ」

「・・・(おいおい)」

土日はおとなしく引きこもり、薬局で買った熱冷ましを飲む。効くけどすぐに熱が上がる。変な発疹が腕や顔に出てくるので、熱冷ましを止めてみたり、小手先のことでごまかそうとするが、どうも具合がよくない。

でも、まぁ仕事してりゃ治るかしら、と適当なことを考え、月曜日は働く。職場の人たちも親切で、外に行く用があると、枝豆やらお好み焼きやら、自分の口にはいると思われるものを買ってきてくれます。

火曜日になり、さすがに治らないから、午後に早退して病院に行こうと決意を固めつつあったら、ちょうど、日本人のHさんが職場に打ち合わせか何かでいらした。タイ人上司を交えて打ち合わせ前の雑談。彼女は英語、タイ語ぺらぺらなので、普段はタイ語で打ち合わせていますが、自分がいると英語にスイッチ。

「調子どうですか?」

「マイ・サバーイ(調子悪い)なのよ」

「え、なんで?」

「分かんないけど熱が続くの。薬局の薬飲んだんだけど」

ここで突如上司が「はよ病院に行け。これだから日本人は」と怒り出す。

1ヶ月前に続き、再びバンコク病院へ。

熱は8度2分。血圧正常。体重少し減った。問診の後、血液検査と鼻水検査(インフルエンザ、A型肝炎、デング熱の検査をしました)。しばし、1階のスタバで緑茶ラテを飲みつつ待つ。検査結果は・・・

「デング熱です」

はぁ。
その後いろいろと説明を聞き、症状軽いから死ぬことはなさそうだということ、数日で熱は引くだろうということ、水とご飯はしっかりと取れということ、よく身体を休めろということ、あなたは平気そうだけど熱が引いたあとぐらいにショックが来るかも知れないから用心してねということ、土曜日に再検査をするということだったので、ほっとして診察を終えました。最後に

「明日仕事してもいいですか?」(我ながら空気を読まぬ質問)

「(苦笑)・・・うーん、一応熱あるからねぇ」

ということで、今週は職場をお休みすることに決定。幸い(?)ノートPCは持ち出してあったので、仕事は少しは続けられそうです。上司に電話をしたら「あー、デンギ、デンギね! 休みな」で終了。直後、事務所のMLに「熱が出たら早めに病院へ行きましょう」の事務連絡が。。。

タクシーで家路に就く途中、パッタイ屋が開く時間になったので途中下車してパッタイを食べて帰りました。

不思議なことに、タイ中部ではデング熱はもうメジャーじゃないと、みんなが口を揃えていうのです。しかし、潜伏期間中思いつく遠出はアユタヤ日帰り旅行ぐらい。みな、自分がこっそりと楽しく遠出をしたせいなのでは、と信じているのが不本意で(笑)。

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2010年5月10日 (月)

決着しそうでしませんねぇ

 首相の提案に対して、UDD(赤服さん)も基本は合意。でも、解散日を明確にするまでは座り込みは続けるという、今ひとつすっきりしない状態が続いています。

 そんな中、爆発と銃乱射で警察官2名が命を落とすことに。すんなりと終わると困る人たちがいるということでしょうか。いろんなサイトであれやこれや言われていますが、タイの政治に直接関係のない自分としては、「はよ終わって」というところが本音。

 ただ、言えるのは、ニュースで報じられるような衝突や長期間の占拠といった表面的な部分で済まされる話ではないということ。「タクシンがカネを出しているから来るんだ」という声もありますが、それだけなのか、というとそうでもなさそう。確かに「動員」の側面もあるのでしょうが、地方の貧困層といわれる人たちに情報が普及していくプロセスにあるのかな、とも思えます。

 写真は5/3夕方6時過ぎの「マルチカラー」(赤服さんに反対する人たち)の皆さんの集会です。6時には国歌斉唱。そのあと、アジ演説。別に行きたくて行ったんじゃなくて、偶然帰り道に出くわしただけです。

Multicolor

 この会場(戦勝記念塔)から家まで帰る途中に陸軍の施設があるのですが、厳重?な警備が敷かれていました。「写真撮っていい?」と聞いたらにこやかに頷いてくれたので、一枚。

Thaisoldier

施設の周囲を有刺鉄線が被っています。文字通り、とげとげが出ている針金が使われているイメージがありますが、今はワイヤーにカッターナイフが付いている仕様なんですね。強力そうです。

Yuushitessen

でも、これを敷設するときには怪我をしないのだろうか? そんな鈍くさいやつは軍隊に入れないとは思いますが。

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携帯電話

 ご多分に漏れず、タイでも猫も杓子も携帯電話を持っています。1人2台3台持っていることも珍しくありません。

 外国人も別に制約なく携帯を持つことができます。好きな携帯会社のSIMカードと、自分がほしい携帯電話機を別々に買ってきてセッティングすれば終了。自分はMBKで揃えましたが、うちの近所のような下町にも何軒も携帯屋があるので、そういうところで買ってもよいでしょう。日本はまだ、携帯電話会社が携帯電話機を縛っているので、こういう自由な買い方はできないんじゃなかったっけ?

 基本はプリペイドです。セブンイレブンとかで、「True Move、90バーツ」などと指定すれば、パスワード付きのレシートが出てきます。

Keitai

 この15桁の番号を入力して送信すれば、プリペイドの充電(リフィル)が完了です。

 日本の大勢を占めている後払い方式を取ることも可能ですが、外国人の場合、確か労働許可証がいるんじゃなかったけな? 自分も労働許可証は持っているけど、手続もめんどくさそう。パッとSIMを買ってその場から使えるプリペイドの方が自分には楽でした。

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2010年5月 9日 (日)

入院しました(だいぶ前ですが)

 お世辞にも頑丈な身体をしていないのですが、不思議なことに病気・怪我で入院というモノをしたことがありませんでした。

 タイに来て3週間目に入ったある日(4/10の民主記念塔での衝突の少し前)のこと、日中からどうも気分が悪い。頑張ってご飯を食べ、8時半ぐらいまで残業をして、何とか家に着きました。そこから苦しみが…。

 下痢だけならよかったのですが、夜中についにこらえきれずに戻し始め、水すらも受け付けなくなってきました。熱が出て悪寒はするし、水も戻してしまうしで、「あぁ、下痢で死ぬってよく聞くけど、これを放置したらそれは死ぬよなぁ」とか漠然と考え…。どうやら、前日に食べた沢ガニの入ったソムタムがよろしくなかったようで。。

 明け方になり、朝ご飯を戻した段階で(つまり丸々24時間胃が動いてなかったんですね)、旅行保険会社に電話。このときほど旅行保険がありがたいと思ったことはありませんでした。保険会社はバンコク病院日本語デスクを案内。教わった電話に何度もかけたのですが、なぜかつながりません。まぁ、行っても追い返されることはないだろうと、タクシーに乗り、バンコク病院へ。

 とても広い病院で、どこで降りたらいいかも分からなかったので、適当に降りて日本語デスクはどこかを聞いたら、係員が車いすを持ってきてくれて、それに乗れとしきりに言ってきます。自力で行けそうな気もしたのですが、病院はとても広く、押してもらって正解。

 お医者さんも看護師もみんな日本語がぺらぺら。お医者さんは「だいたい2週間すると当たる。下痢よりも吐き気の方が大変だから、よかったら1日入院してください」と言って終了。その後血液検査、点滴、投薬と続き、病室へ。病室は最上階にある外国人病棟で、自分のような者でも個室があてがわれました。保険会社ってすごいなぁ。支払いは直接保険会社がしてくれます。

 中の家電は冷蔵庫、テレビ、電話機など、DVDプレイヤーを除いて(サムソン)、すべて日本製。水回りもCOTTO(TOTO出資の合弁会社)ではなくて、TOTOの洗面台が付いていました。テレビもチャンネルが山ほどあって(もちろんNHKも映ります)、飽きないのですが、点滴に吐き気止めとかを入れられてからは、うつらうつら。

 ジュースとミルクとスプライトもおいてあったのですが、看護師さん曰く、「スプライトは飲んでいい。あとはおみやげに持って帰って」。あとで、病院の通訳さんに聞いたら、「タイ人はスプライトは気が抜ければ砂糖水だから、糖分の補給にはよいと考えている」とのこと。そういえば、タイのコンビニでスポーツドリンクの類を見たことない気もします。

 食事は、和食・イタリアン・タイの中から選べるとのことで、とりあえず和食を選択。おかゆ・豆腐の味噌汁・焼き魚が出てきました。他にも何かあったかな?忘れた。味噌汁を飲んで、おかゆを少し食べたところで限界。

 28時間ほどの入院で、点滴3本を打ち込みました。最後に通訳さんがもう一度来て、支払い窓口へ。支払いは保険会社がするので、サインだけをしておしまい。料金は27000バーツ(約8万円)。

 病室に戻ると、看護師さんが、ペンとかメモ帳とかジュースとか、おみやげに持って帰れとしきりに勧めてくれるので、鞄に詰め込みました。さらに、ベッドゆっくり使っていいですよ、とも言われたのですが、仕事をいつまでも休むわけにいかないので、昼前にはそそくさと帰宅したのでした。

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2010年5月 6日 (木)

散髪をしました

 日本にいたころ、同僚にほぼ毎日のように寝癖を指摘された。そう、髪質が固すぎるのである。散髪であまり短くすると、もう、どうしようもない。なので、出来る髪型も限られてくる(はず)。

 近所の散髪屋に行ってきた。もちろん、美容室みたいなところもたくさんあるのだが、めんどくさいので、簡単そうなところに行く。

Bkk_sanpatsu1

 この写真の左側が家になっていて、普段は老夫婦がぼんやりとテレビを観て過ごしている。おじいさんはいつも上半身ハダカだ。客が来ると、おもむろに立ち上がり、白いワイシャツをもったいつけて着る。

Bkk_sanpatsu2

 暑いところに、このエプロンを着けるから、文字通り汗だくになる。おじいさんは 鴨居に引っかけてあるバリカンを取り出し、左右、襟首を刈上げていく。おじいさんの立ち位置は変わらず、椅子をくるくる回して刈っていく。だから、鏡が2枚付いている(最初の写真参照)。外を向くときは、扉なんて閉めてない(閉めたら暑くて死ぬ)から、道行く人と次々と視線が合い、ちょっと照れくさい。

 シャンプーなぞもちろんない。刈上げたら、襟首周りをぼろっちいカミソリで剃り上げて終わり。前髪とかは言わないと切ってくれない。このまま、いつもこの散髪屋に行っていたら、どんどん髪の毛が縦に盛り上がるのではないか?

 肩を叩かれたので終わりかと思って動こうとしたら、まだカミソリの刃が首筋にあってびびった。

Bkk_sanpatsu3

 どれがなんの料金か分からないが、自分の場合は50バーツ(150円弱)だそうだ。

 おじいさん、最後にしきりとこっちを指さして「シンガポール?」と聞いてくる。「イープン(日本)だ」と何度言っても、なかなか納得してもらえなかった。まぁいいけど。

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2010年5月 1日 (土)

「み」という文字

 唐突ですが、吉野山が好きです。でも一度も行ったことがありません。一度桜を見たいのですが、この時期は年度末~年度初めで休みが取りにくいのと、花粉症がひどいので、「吉野杉」と聞いただけで恐れおののいてしまって、だめですね。将来、年を取って時間ができて、花粉症がこの世から消えれば、一度桜の花びらに埋もれてみたいと思っています。西行を気取ってみるのもいいかもしれません。

 その代わり、もう7年ぐらいになるでしょうか、毎年このサイトを見ては癒されています。たまに投稿写真を季節限定で自分のPCの壁紙にしたりもします。

 吉野は古くから、「み吉野」と呼ばれてきました。ATOKで変換させると「み吉野」とは出ずに「美吉野」と出てきてしまいますが、グーグルでみるとそれは北九州にある地名だったり、吉野の近くにあるお店の名前だったりするようです。地名、店名では他にも「御吉野」もあれば「深吉野」もあります。すべて「みよしの」と発音します。

 美しい「み」、貴い「み」、山里深い「み」。どれも同じ発音で、だから古くから歌でも「み吉野」と詠まれてきています

 「み」という文字は、ただmiという音を表す文字。なのに、それが「吉野」という漢字と組み合わさっただけで奥深い世界を描き出します。字面だけでも絵画的でもあるし、それを口に出して発音すれば映像のような奥行きも感じさせます。ひらがな一文字が生み出す豊かさは、こころをつかんで離しません。

 英詩でこういう例はないんじゃないでしょうか。だから日本語は面白い。そして、一つの表音文字からこれだけの豊かな想像力をかき立てられる、というのは、日本語を母語として理解できることの醍醐味なのではないでしょうか。

 

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