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2009年2月12日 (木)

なんで大学院なぞに入ろうと思ったのだろう?(1)

 時間的余裕があるとは客観的にも主観的にも思えないが、この4年近くの自分を振り返ってみたくなった。

 自分の中では人生はほぼ10年周期だと思っている。公立学校での義務教育の9年間(第1期)、高校→大学と一貫校+留年(留学にあらず)で9年間(第2期)、そして今の職場に勤めはじめてから大学院に行くまでが10年(第3期)という具合だ。大学院に入ってから今年で5年目になる今は、4期目の10年の折り返し地点手前ということになろうか。4期目の後半をどう迎えるかをそろそろ真剣に考えておいた方がいい時期だと思う。

 そもそも何で大学院に入りたいと思ったか、である。もとより、漫画っこ、テレビっこの自分は、勉強は好きではない。たまたまアウトドアよりも性に合っているというぐらいである。だから、「学を究めたい」なんてえらそうなことは到底言えた義理ではなさそうだ。

 直接的には、職場の関係者からのお誘いというか酒の席でのささやき、漠然とした未来への不安、惰性で仕事をするようになってきて生じる閉塞感、人間関係の疲れ、といったものが自分の背中を押した。そして、それが「社会福祉学」以外の勉強をしたいと思わせる要因でもあったに違いない。単純に、今の自分の仕事を書き連ねるだけのことはしたくなかった。それでは閉塞感は打破できない。

 では、そこでなぜ「開発経済学」だったのだろうか? 途上国をはじめ、海外とのやりとりが主な業務だったから、開発という枠組みに興味があったのは確かだろう。もう少しよく振り返ってみると、自分の仕事と関連する3つの理由に思い当たる。

 まず、自分が担当してきた小規模なプロジェクトは、社会全体から見たらどこにプロットされるのだろうという疑問(これは入試の面接でも答えた)。たとえば、途上国の農村で車いす製作所を軽度の身体障害者を集めてやっているところを「障害者の所得創出」として支援したことがある。プロジェクトとしての意義はいくらでも言えるのだろうが、果たしてそれは世の中全体から見て、その社会全体から見て、どういう位置に占めているのだろうか。単なる慈善事業ではない、社会の中の位置づけを確たるものにする視点がほしかった。

 次に、2000年頃からのトレンドとして出てきた「障害と開発」の可能性への興味(これは志望動機に書いた)。とりわけ、世銀の障害と開発チームのメンバーと仕事をする機会を得てから、開発機関とかそうした大仕掛けの中に「障害」というコンポーネントがどうやって入っていくのか、そしてそれがどう途上国の障害者を変えていけるのかに、未来への展望を感じていた。

 最後に、これも当時の話題だった国連の障害者権利条約への関心と疑問。たまたま、ニューヨークでの策定作業を間近で目撃する機会に恵まれ、具体的な交渉にもやや立ち入るチャンスがあった。政府関係者だけではなく、NGOとりわけ障害者組織が積極的に交渉過程に入って、一言一句を巡ってバトルを繰り広げるのは興奮する体験だったし、よりよい条約が作られるという確信も自分の中にはあった。しかし、世界の多くの国で人権条約が批准され、権利が高らかに謳われても、特に途上国では条約で保護されるべき人々の生活状況は何も変わっていないという現実もある。障害者権利条約でこれを繰り返さないためには、法学とは違うロジックが必要なのではないかと漠然と思っていた。

 これらの疑問を重ね合わせて、名前から来るイメージだけで「開発経済学」がいいんじゃないかと思った。面接では「経済学をやったことないみたいだけど、大変ですよ」と言われたが、今さら「そうですか」と引っ込むことは当然できない相談で、そのまま大学院に入ることになった。

 入った後、何にぶち当たって、何を考え、どう変遷していくかはまた後日考える。

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