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2006年9月29日 (金)

やっと宮迫千鶴を読んだ

宮迫千鶴(2001)『美しい庭のように老いる』筑摩書房

 この本は副題にあるように「私の憧れの老女たち」を各章ごとに紹介していくことで、「老い」がポジティブなものであることを伝えようとしている。登場する老女たちは、アメリカ・インディアンであったり、沖縄の人であったり、著名な絵本作家であったりする。宮迫は、彼女達の肩書きやら業績やらといった外向きの立派さから賞賛するのではなく、「ただ現在の自分である人。今という時間の中でゆったりと現在を呼吸し、その今をやがて来る未来へと注意深くつないでいる人」という像を、一冊の写真集や老女の孫との出会いなどを通してつむぎだしていく。「老女」という存在が決して悪いものではないという希望に満ちたメッセージの著である。

 あとがきで、宮迫は「『ふける』ことと『おいる』ことには微妙なちがいがあるように思えた」と指摘している。老けるも、老いるも同じ「老」の字を当てるが、その言葉の持つ意味合いには決定的な違いがある。「老ける」と言う場合には、それを認識する主体は「若かりしころの自分」との対比で現在の自分を見つめ、失われたものを数えている。それに対して、「老いる」というのは共時的に自らを見つめる行為である。そこでは、これまでの人生は、単なる古きよき思い出ではなく、今を生きる自分の糧として蓄積され、残された世代に伝えられるものとして描かれている。

 生命科学者の柳澤桂子は『われわれはなぜ死ぬのか』(草思社、1997)の中で、「私たちは、死を運命づけられてこの世に生まれてきた。……死の運命を背負わされた囚人として生きるのではなく、誇りと希望をもって自分に与えられた時間を燃焼しつくすこともできるはずである」と述べている。宮迫の老女一人一人への憧れも、こうした生死観に近い視座からもたらされたもののように思える。

 脳死や尊厳死など「命の質」がやたらと問われる時代にある中で、医学主導で決められる命のあり方に二人の言説は異を唱えている点で似通っているように映る。宮迫も柳澤も、若干世代は異なるが、70年代から社会に向けて発信を続けた女性たちである。そんな二人が、分野は違えど(画家と生命科学者)老いや死を同じような視点で語っているのが大変興味深い。

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お庭の土

おととい、3年ぶりで友達の実家(呑み屋さんをやってます)に行ったら、そこの親御さん(要するに友達のおばあさん)がアパートを引き払うので、土の捨て方をどうしようかという話題に。聞くと、ガーデニングというか、手当たり次第に鉢植えを買ってきてベランダに並べていたみたいで、ゴミ袋8つ分の土があるらしい。

これを「燃えないごみ」っていうのも芸がないと思って聞いていたら、うちの近所のアパートだったことが判明。酔った頭で「いいよ、うちのところ土が減ってるから入れるよ」とかみさんに諮ることもなく約束。

今朝、予定通り電話がかかってきて(当たり前)、せっせと土を運んだ。ぼろいアパートだから、よくベランダが抜けなかったなと変な関心。とにかく、土を庭(というか花壇みたいなところ)に撒いて、よーく混ぜました。袋によってまともな土と、ぱさぱさになりきってしまった土があり、おばあさんがあまり手をかけなかったものと手をかけたものが一目瞭然だなぁ、と思いながらスコップを動かしていたら、突然お香の香りが? う、おばさん、仏壇の灰も混ぜたな。。。 

灰も肥料だからまぁいいか。お香の香りのするバラをしばらくは楽しめる??

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2006年9月28日 (木)

くぅでたぁ

いや、「ニュース」のカテゴリーにするにはちょっと古すぎるのですが、

先週、タイにいたのですよ。

ホテルのそばのネットカフェから戻ってきて、少しビール飲んで、寝始めたところで、タイのカウンターパートのスタッフさんがコンコン。扉を開けると、ちょっと硬い表情で、「首相から非常事態宣言が発令されました。安全が宣言されるまでホテルから出ないように、とのことです」とのこと。

寝ぼけ眼でテレビをつけると、とにかくどのチャンネルも一緒。おっさんが何かを読み上げて、タイ語の字幕が出て、後は延々と国王をたたえる歌と映像(若いころからの巡幸の様子)が続く。とにかくタイ語しか情報がないから、このアナウンスが軍部側のものだったのを知ったのは、ホテルのLANを使ってインターネットでCNNとかのサイトを見てから。情報が遮断されるって、こんなに不安になるものですな。なぜか衛星放送(CNNとか)は入らないし。

一つ思ったのは、日本の新聞社って、外電の翻訳がお仕事? NHKは自分の入っているビルにも軍隊が来たようだから、もう少し独自の記事があったけれど、新聞社のサイトはほとんど独自記事はなし。このネット時代、少しの英語が読めれば、新聞いらなくなるぞ。少なくとも国際面は。アフリカとかならともかく、同じアジアでしょうに。もう少し取材力はないのかしら。

翌日はしかるべき派遣元からホテル待機を命ぜられたので、ホテル内で仕事を済ませる。もともとその予定だったから、痛くも痒くもない。

なんやかんやで、その次の日、陸軍省の前とかを車で通ったけれど、戦車を記念撮影する人、自動小銃を置いてアイスを食う兵隊、ご飯の差し入れを受け取る兵隊などなど、「クーデター」というほどの緊張感もなく、タイトルのようにひらがなで書くのがふさわしいイベントでした。

もともと、タクシン首相がとんでもないぐらいザルなことをやらかしまくっていたところにおきた事件ですから、市民は平静を保って支持をしているようです。日本で言えば、東京地検特捜部の捜査が入ったような感覚で支持をしているかも。でも、日本じゃ考えられんわな。

あと、一応戒厳令下ですから、外出禁止はないけど、5人以上の政治集会は禁止されておるようです。一見平穏に見えるけど、軍隊が何の歯止めもなくやっていることだから、裏ではいろいろあるかもしれないし。対外的にもイメージ悪いよね。

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2006年9月11日 (月)

9.11は何の日?

9.11はいろんなことのあった日です。

1つ目は有名な「同時多発テロ」のあった日。自分も2年ほど前にグラウンドゼロに行きましたが、9.11を知らずに見たら、「大きなビル解体跡地」にしか見えませんでした。そこで被害にあったとかそういう人を知らないだけに、実感がわかないのかもしれません。でも、私と一緒にNYに行ったsachiのウェブサイトを見ると(←をクリックすると下のほうに出てきます)、いろいろと思わされるところもあります。

ところで、日本人のどれだけが3月19日にイラク戦争が始まったかを知っているのでしょうか? 自分はその日はちょうど札幌に出張していました。憂鬱でした。というのも2日後の21日にブラジルに出張のためアメリカを経由することになっていたからです。ニューアーク空港での警察犬と自動小銃を構えた州兵のお出迎え、帰りのヒューストン空港での戦意高揚一色のテレビ画面……。

すでに、イラクでの米兵の死者は9.11の犠牲者の数に近づいています。アメリカはそれだけの血を他国で流し、その何倍もの現地人の血を流させ、何も解決していません。そもそも解決すべき問題はそこに所在していたのか? 日本のメディアは9.11を大きく取り上げますが、あまりに無原則にアメリカに擦り寄りすぎている気がします。

2つ目は、金井康治さんの命日。私は10数年前に2度ほどお会いしただけで、満足に話をしたこともありません。一緒に学びたい、という運動を知っている人なら必ず知っている人物です。幼いころからそういう存在であることは、自分には想像だにできないプレッシャーだったろうと思います。逆に、そうした運動がないと行きたい学校にも行けない時代がずっとこの国では続いています。

障害者権利条約がようやく仮採択され、日本の文部科学省も原則インクルージョンを受け入れるようになりました。まだまだどうなるか分からないとはいえ、金井さんを支える運動がはじまってからほぼ30年、少し何かが動くのでしょうか。

3つ目は、うちのカミさんの誕生日です。秋が来るのを感じます。

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